初めての妊娠、流産、周りになにを言われても苦しみから抜け出せなかった時に救われた言葉、次の妊娠に向けてやった体質改善、妊娠出来た時にしていた行動。を二回に分けてまとめてみました
まずは初めての妊娠、流産、手術、そして救ってくれた言葉を書いてます。
流産はとてもつらい経験で誰もがしたくない経験です。でも初期流産は受精時の染色体異常によりおきてしまう避けられない事でもあります。
悩んだり、苦しんでいる方の参考に少しでもなれば嬉しいなと思います。
初めての妊娠
女性ならいつかは子供が欲しいと思うことはとても自然な事だと思います。
私は元々仕事人間で、一日12時間は毎日働いていました。
妊娠したら”食べれないもの””出かけにくい場所”が沢山あると思い、20代は旦那さんとの時間を大事にして妊活は30歳に入ってから始めました。
はじめにしていた妊活はとてもゆるく、
・葉酸を飲む
・お茶を緑茶からルイボスティーに変える
・ルナルナのアプリで毎日基礎体温を測り排卵日を知る
くらいで、お昼は変わらずコンビニ飯を食べたり食生活や運動は特に変えずに生活していました。
毎月もしかして!もしかして!っと期待しながら生理がくる度に落ち込んでいました
繫忙期を避けながら妊活していたら気付けば10ヶ月くらい月日が経っていました。
そんなある日、生理が来ない、いつもよりトイレに行く回数が増えた、高温期が続く、常に眠い、などの妊娠超初期の症状がありまさか!と思ってフライングで妊娠検査薬をしたら2本線が入り陽性!!旦那さんとの泣いて喜びました。
直ぐに病院に連絡するも繫忙期中でシフトが変えにくく病院と日程が全然あわず、6w4dに初めて病院に行くことに。
今思えばなんとしてでも5~6w辺りで見てもらっていれば無理していなかったのかも。と後悔しました
私の仕事は基本ずっと立ち仕事で、力を入れる作業や重たいものを持ったりすることもあります。
妊娠してから上司にはすぐに伝えましたが、みんなには安定期に入ってから言ってください。と言われ誰にも助けを求めれない分、普段と同じ作業をせざるを得ない状況でした。
ですが、夜になると下腹部が猛烈に痛くなり歩けずしばらく休憩しないと帰れない日々が何日かありました。こんな生活送っていたら赤ちゃんは大丈夫なのかな…と不安で仕事中も帰り道も泣いてました。
今までなんともなかったお皿一枚持つのさえも、お腹が痛かった。
迎えた健診の日
初めてのエコーで7w近かったこともあり、心拍まで診れた!!
あんなに無理しちゃったけど、赤ちゃん生きてる!本当に嬉しい瞬間でした。
特に異常も無く元気と言われました。
先生に仕事中お腹が痛くて立てない事があるからこのまま働くのが不安だから母子連絡カードを書いて欲しいとお願いしたら・・・
「お腹が痛いのは便秘だからじゃない?重たいもの持つのはここの看護師はみんな妊婦でも働いてるからそれくらい大丈夫」の一点張りで書いてもらえず、便秘の漢方薬だけもらい帰宅しました。
流産と診断、手術
元気だと診断を受けた翌日、朝いつものように出勤し仕事をしていると、
サラッとした水のようなおりものが急に出た感覚があり、すぐトイレへ
確認したらなんと…サラッとしたピンク色の血でした
拭いても拭いても止まらず、早退させてもらって直ぐ病院へ。
診察台に乗ってもポタポタ血が止まらず・・・昨日まで元気だった心拍が弱くなっていました。
診断結果は”切迫流産”とのことで1週間安静にして様子を見ることに。
私の友人にも切迫流産になった子が居たけど、みんな元気に出産していたので大丈夫だろう。と思っていました。けど、数日経っても血が治まるどころか、生理2日目くらいの出血量が1週間続き、
一週間後の診察では赤ちゃんが成長していない。もうすこし様子をみようとのことで一週間自宅療養。
毎日夜用のナプキンを何度も変えて・・・、一週間後やはり育っていなく稽留流産と診断されました。
自然排出を待つか、流産手術どちらがいいか?と聞いてくれました。
私の場合、15日近く毎日大量出血をしていたので一日でも早く楽になりたい、もし自然排出なら自分で胎嚢を見てしまうからより精神的ショックが大きいなと考えました。お医者さんも手術の方が子宮の中が綺麗になって次に進みやすいし、胎嚢に異常がないか検査をしたいからと、手術を薦めてくれました。
サラサラした鮮血が15日間量も変わらず出続け、ときにはゼリー状の大きい血の塊が何度か出ました。
とにかくサプリメントや肉を食べて必死に血を作ってました。
手術の二日前くらいから、夜中に数分間隔で子宮に猛烈な痛みがありのたうち回ってました。
これは子宮が出ようとしていたみたいで、陣痛と同じ痛みだそうです。
同じ流産でも私の様に血が止まらなかったり、痛みが激しかった例もありますが、無自覚に気付いたら流れてたという方も居たり人それぞれです。
手術は周期が浅かったこともあり、吸引法でした
静脈麻酔をし、まだ麻酔効いてないうちに分娩室へ
もう今すぐ手術します!っていう状況で焦り思わず「えっ!私まだ意識あります!!」と言ったら先生達にこの注射入れたらすぐ寝ちゃって動かせなくなるからね~となだめられ(笑)、静脈に刺していた点滴?に新たな麻酔を入れた瞬間、じわじわっと意識が朦朧となり起きたら手術が終わっていました。
まさにコナンくんの眠りの小五郎状態(笑)
術後は麻酔の影響でしばらくフラフラして歩けなかったりしたけど、一気に身体の痛みや辛さが無くなり、もういなくなっちゃったんだ…と実感しました。
手術後私たちを救ってくれた言葉
手術後すぐの一ヶ月はとにかく美味しい物を沢山食べたり、綺麗な景色を見に行ったり、好きなアーティストの出るフェス参加したり、楽しい予定を入れて気を紛らわしていました。
けど予定が終わるたび、お空に帰った我が子のことが忘れられなくて、染色体異常で関係ないと言われてもあの時仕事をしていなければ…と何度も自分を恨み、後悔ばかり増えて情緒不安定になり泣いてました。
「お空に忘れ物を取りに帰ったんだって!だからまた戻ってくるよ」
「若いからまたすぐ出来るよ」「うちも経験したから分かるよ」
たくさんいろんな方が励ましてくれたけど、どれも全然響かず、あなたに何が分かるの?って思うくらい心が荒れ切っていました。
二ヶ月くらい経ちようやく心の整理が付いたら頃、夫と水子供養に行くことにしました。
家から近い同じ宗派のお寺へ行きました。ついてすぐ供養をしてくれました。
お経を聞きながら、私たちの元へ来てくれてありがとう。短い期間だったけど幸せだったよ。お空から見守っててね。と伝えました。二人共涙が止まりませんでした・・・
供養が終わりお上人さんが私達にお話をしてくれました。
「その子を思い出すということは悲しみを連想しあなたも赤ちゃんも苦しくなるから、思い出さない。けど忘れないであげてください。夫婦が二人仲良くいることがその子にとって一番嬉しい事です。きっと二人にとって一番の味方になってくれます。」
”思い出さない、けど忘れない。”同じような言葉に聞こえるけどお上人さんに言われた意味を聞いてものすごく心に刺さって、病んでた心が軽くなった。二人で救われた一生忘れない言葉。
ようやく前を向けるようになり、次こそは染色体異常になるもんか!と体質改善をすることを決意。
妊活中の体質改善、妊娠した時にやった事はまた次の記事で書きます。
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